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先輩の声

研究者は何に悩み、どのように問題を解決するのか。分野を超えた、研究者へのインタビュー第3弾。

<撮影:辻>

大藤 弘明(おおふじ ひろあき)先生

東北大学大学院理学研究科地学専攻 教授

研究キーワード:電子顕微鏡、微細組織、結晶化メカニズム、

ダイヤモンド、フランボイダルパイライト

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記事作成:2024年2月

メンバー:辻勇吹樹(理B4)、槙哲範(文B4)[New Blows]

研究内容

ダイヤモンドをはじめとする鉱物は高価で、美しい宝石として昔から人々を虜にしてきた。ただし鉱物学者はその希少性や美しさにだけ着目しているわけではない。鉱物が~百年単位の長い時間をかけて成長する間、鉱物は地球環境を反映してさまざまな形や組成をとる。それらは石そのものの記憶だけでなく、その大地や地球の成り立ちや太陽系の起源を探る有力なヒントを与えてくれる。大藤先生は主に電子顕微鏡を用いてこれらの鉱物の構造が作られるメカニズムをミクロの視点から解き明かそうとしている。

目次

  • 研究の興味とそのきっかけ
  • 過去の悩みとその解決方法
  • 即席”新”学問:「鉱物の技術哲学」 ー哲学専修3年 槇哲範

Q1. 研究の興味とそのきっかけ

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“結晶が生まれる背景には、共通の物理と化学がある”

 興味を持ったきっかけは、中学生の時にたまたま立ち寄った渋谷の東急ハンズで水晶の鉱物標本を見つけて、なんでこんな綺麗な形(六角柱)をしているんだろう?、人間が加工した訳ではないよな?_と思ったことでした。その時、結晶というものもよく知らなかったのですが、とにかく幾何学的な美しさに興味を覚えたんですよ。こんな綺麗なものがどうやってできたのだろうって。その水晶標本の隣には『鉱物採集フィールドガイド』という本も売られていました。

Amazon.co.jp: 鉱物採集フィ-ルド・ガイド : 草下 英明: 本

主に関東近郊の石(鉱物)が取れる場所の紹介で、この産地には、どのような岩石が露出していて、どの辺りでどんな鉱物が採れますよという、随筆的な本でした。 購入して読んでみると、日本でも綺麗な、貴重な石が採れることを知りました。巻頭には、著者が実際に採集した綺麗な鉱物の写真が載っていました。それを見て、自分でも採ってみたい!と思い、たまの週末に父親と一緒に産地を巡って、よく鉱物を採集していました。それが私のこの世界への入り口だったと思います。 

 鉱物には「天然に産する一定の化学組成を持った無機結晶」という定義があります。例えば、食卓だと、砂糖は有機結晶なので鉱物ではありませんが、食塩は化学式がNaClの無機結晶で、鉱物(岩塩)に該当します。では、その辺に転がっている石ころはどうでしょう?石ころは鉱物の場合もありますが、岩石の場合がほとんどです。 岩石は、鉱物の集合体です。必要な条件が揃えば鉱物は綺麗な形(結晶)を作って大きくなれますが、周りでたくさん鉱物が作られるような環境では、それぞれの粒子が“押しくら饅頭”をするように成長するので、周りに影響されて綺麗な結晶の形は見られなくなります。これが大半の岩石の組織です。岩石は満員電車のような状況で、個々の乗客が鉱物にあたります。鉱物は、特殊な環境でだけ大きくなれるんですよ。水晶が六角形の形をしてるのはご存じかと思いますが、実はその柱面のなす角を測ると、全て120度なんですよ。水晶って人間の顔と一緒で、2つとして同じ形はありませんが、面の角度は全て一緒なんです。 これは「面角一定の法則」といって、デンマークの科学者、ステノが17世紀に見つけた法則です。結晶の形は、それをつくる「原子の積み木」の形(タイプ)によって決まります。水晶の場合、その積み木が六角形なのでそれを敷き詰めて(立体的に積み上げて)つくられる形もまた、必然的に六角形固有の幾何学模様を有します。私の最初の興味は、生物のようにDNAも持たないのに、鉱物はどのようにして自己複製、自己組織化して結晶を作るのだろうということでした。

 私が研究を初めてから学生時代含め25年くらい経ちますが、 ようやく鉱物研究の醍醐味というか、本当の面白さがわかってきました。様々な形や組織を調べていくと、それが形成されるプロセスやメカニズムがわかりますが、その背景には共通の物理と化学が見える場合が多いんです。一見、異なる現象を紐解いていった結果、そのような共通性、普遍性が見えてくることに、僕はすごい喜びを覚えます。「あ、ここも繋がったよ」という感じで。例えば、一つ例を挙げると、界面(表面)エネルギーの最小化です。シャボン玉を膨らませると、いつも丸いシャボン玉ができますよね。四角だったり、でこぼこしたシャボン玉はできません。自然は、単位体積あたりの表面積、すなわち表面エネルギーを最小化しようとしているんです。球は単位体積あたりの表面積が最小の立体なので、球形になろうとするんです。シャボン玉だけでなく、泡やしずくなどでも表面エネルギーを最小にする物理が働いていて、我々はその結果を様々な現象の中に見ることができます。ペットボトルの中に食器用洗剤と水を少量入れて、シャカシャカ振ってから置いておくと、たくさんの泡ができるじゃないですか。泡は徐々にパチパチ弾けていきますが、その過程で泡同士は連結して次第に大きくなっていきます(図1)。それらがさらに連結してもっと大きな泡になってという様に、界面エネルギーを減らしてゆきます。

図1 泡の写真

表1・球の表面積と体積の半径との関係

表面積S 体積V
式 (r: 球の半径) 4π×r×r (4/3)π×r×r×r
r=0.1 4π×0.01 (4/3)π×0.001

=(表面積S)×1/30

表面積>体積
r=10 4π×100 (4/3)π×1000

=(表面積S)×10/3

表面積<体積

界面エネルギー小

 

どうして界面エネルギーが、泡や結晶のサイズと関係するかというと、表1のように球の大きさによって表面積と体積の比率が変わってゆくからです。球の体積はV=43r3、表面積はS=4r2で、それぞれrの3乗と2乗の関数なので、rに0.1のように小さな数字を入れると表面積の方が大きくなり、10のように大きな数字を入れると、逆に体積の方が大きくなります。よって、rの大きさ(サイズ)によって、体積と表面積の関係性が変わるんです。表面エネルギーを小さくするには、体積を大きくすればよいので、泡は自然と大きくなっていくのです。逆に言うと、小さい泡は不安定で消える運命にあります。これは鉱物やそれが集合した岩石の場合でも同様で、粒が小さな状態は不安定といえます。

図2 花崗岩と流紋岩

実際に岩石を見てみると、墓石や壁材などでもよく目にする花こう岩(図2左)は、マグマが地下深くでゆっくり固まることでできます。 液体のマグマから直接鉱物が析出(結晶化)するのですが、ゆっくり冷えると結晶が成長する時間も長いため、個々の鉱物粒子が大きくなります。逆にマグマが火山から噴出するなどして早く固まると、 鉱物が成長する時間が足りず、流紋岩(図2右)のように、細粒な岩石ができます。では、マグマを究極的にゆっくり冷やしたらどうなるでしょう?極論としては、結晶は非常に大きな単結晶になることが予測されます。 結晶同士が接する界面がある限り、それを最小にしようという作用が働くので、粒子は連結して大きくなり(図1の泡のように)、究極的には鉱物は不連続な界面のない状況、つまり1つの大きな結晶となるでしょう。岩石が3種類の鉱物によって構成されている場合、それぞれの鉱物が3種類に分かれて、それぞれで単結晶をつくるかもしれません。実際の岩石において、そのようになっていないのは有限の時間内で形成されたからですね。マグマが地下深くでゆっくり固まるといっても、数百年とか千年くらいなので、冷えきってしまうと結晶は成長できません。ですので我々は凍結された現象、組織を見ているわけです。 時間を無限として考えると、物理としては同じ結果に落ち着くのでしょうけど。このように、成長速度やその他の環境要因によって、同じ物質(鉱物)でも全く違う形や組織を作るという点に、私は大変興味を覚えます。

 私が学生時代から研究してきた鉱物の一つに、黄鉄鉱があります。黄鉄鉱は金色に輝く特徴を持っており(図3)、素人がよく「金が採れた!」と言って喜ぶことも多い鉱物で、Fool’s gold(馬鹿の金)と呼ばれています。

図3・黄鉄鉱(pyrite)

一見、金のように見えるのですが、硫化鉄の結晶で残念ながらあまり貴重なものではありません。図3の写真は、粘土の中で成長した黄鉄鉱の結晶ですが、人間が彫刻したり、加工したりした訳ではなく、自然とこのような綺麗な形に結晶化したものです。結晶をつくる原子の積み木が立方体なので、食卓塩(岩塩)と一緒で、よく立方体の結晶を作ります。ただ、私が学生の時に虜となって研究していたのは、そのような肉眼で見える綺麗な結晶ではなく、顕微鏡でようやく観察できる、木苺(キイチゴ)状の集合組織を示す特徴的な黄鉄鉱(図4)です。木苺状の黄鉄鉱は、泥や砂がたまってできた堆積物や過去に形成された堆積岩の中にごく普遍的に含まれています。その辺の側溝や淀みにあるヘドロを採ってきて、目の細かいふるいの上で洗って顕微鏡で見ると、簡単に見つけることができます。ヘドロ臭の原因である硫化水素と鉄分が反応することで生じるのです。ただ、このような木苺状に集合した組織をつくる鉱物は、地球上ではこの黄鉄鉱だけで、しかもどのようにして形成されるのかが未だに謎なんですね。

図4 木苺(キイチゴ)状黄鉄鉱

 昔話で恐縮ですが、学生時代、この木苺状黄鉄鉱の中に20面体の幾何学構造を発見したのは本当に驚きでした。一見、球にしか見えない黄鉄鉱の微結晶集合体が、実は20面体のパッキング構造を持っていたなんて、思いもしませんでした。

 20面体は正三角形の面のみで構成される正多面体で、外圧に強い構造であるため建築物などにも採用されています。天然では一部のプランクトンやウイルスの殻構造に見られますが、それらの内部は空洞で中には軟体部やDNAが入っています。中身まで詰まった20面体構造体って、天然では木苺状黄鉄鉱しかまだ見つかってないんです。一方、小さなスケールにおいては、20面体構造を作った方が、実は全体的な表面エネルギーが下がることが分かってきました。 

 

ミクロの世界では、20面体が1番効率的ということでしょうか。

正確に言うと、ミクロ(マイクロメートル)よりもナノ(メートル)サイズの世界では、20面体は表面エネルギー的に安定な構造と考えられます。正20面体は20個の4面体ユニットの集合(20面体の中心で頂点を共有)と解釈できるのですが、各ユニットは正4面体ではないんです。同じ大きさの粒子(球)が最密充填をすると正4面体になるのですが、その正4面体を連結させて20面体を作ろうとしても各4面体ユニット間には多少隙間が空いてしまうんです。では、どんな時に20面体構造が安定になるかというと、表面積の寄与が体積よりも大きくなって、そのギャップを抑え込むことができる場合と考えられます。つまり、多粒子の集合全体の大きさ(半径r)が小さい時なんですね。ナノスケールではrがものすごく小さいので、表面積が支配的になり構造的なギャップが緩和され、20面体構造が表面エネルギー的に安定となります。一方、rが大きくなってくると構造的なギャップ(ひずみ)の影響が大きくなって20面体構造は不安定になり、良く知られた立方最密構造が安定になります。ですので、我々が普段目にするマクロスケールの世界には、20面体構造を持つ物質があふれていないのですね。

 同じ黄鉄鉱でも形成された条件や環境によって全く違う形になるのが面白く、どうしてそのような違いが生じるのだろう?という素朴な疑問がわきますよね。 黄鉄鉱に限らず、これまで様々な鉱物を対象とした研究に学生と一緒に取り組んできましたが、それぞれの研究を突き詰めてみると、同じような物理や化学が見え隠れしているんですね。そこを見つけると、「あ、またこれもだ!」っていう面白さを感じるのです。その感覚の全てを学生と共有できているかは分かりませんが、研究を追及してゆく上での楽しみ方の1つなんです。結局のところ、私の根本的な興味は、結晶の形がなぜ生まれるかということなんですね。

Q2. 過去の悩みとその解決方法

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“まず実践が大事.やらされ仕事の中からでも面白みを見つける努力をすれば、いずれ道は拓ける”

研究上の悩みとしては、前述の木苺状黄鉄鉱の研究で、その断面に現れる幾何学的な結晶の配列パターンがいったい何を意味してるのかについて、しばらく悩んでいました。ですから、この謎が解けた瞬間のことは、今もはっきり覚えています。

何か手がかりは無いものかと、電子顕微鏡で撮影した試料断面の写真を机の上いっぱいに並べていたんですよ。そしたら、たまたま同じ3回対称(120度回転させると元の形と同じ)の配列を示す2枚の写真(図5)に目がとまりました。それぞれの中心の三角形の領域に注目すると、球の中心近くで切った断面(Section1)では三角形の領域が小さく、構成粒子の数も少ないのに比べ、球の端近く(手前)で切った断面(Section2)では三角形の領域が大きく、構成粒子の数も明らかに多くなっていることが分かります。つまり、二つの断面を繋げて考えると、中央の領域は立体的には4面体の軌跡(ユニット)をなしているのかもしれないと直観しました。そこで、厚紙を折って正4面体をたくさん作り、 それを両手に持ちきれないくらい抱えながら組み合わせてみたんですよ。その時に、「これ、20面体だ!」ってひらめいたんですよ。それまで僕は20面体についてほとんど知識がなかったのですが、調べてみると5つしか存在しない正多面体(正4面体、正6面体(立方体)、正8面体、正12面体、正20面体)のうち、1番面の数の多い,比較的球に近いのが20面体なんですね。とはいえ、それまで球形だと思われていた木苺状黄鉄鉱が,まさか4面体のユニットが連結した20面体の構造を持っているとは夢にも思わなかったので、 4面体を手でガシャガシャ組み合わせてそれに気が付いた時は、ものすごく興奮しました.

図5・木苺状黄鉄鉱の断面の電子顕微鏡写真と立体的な結晶の充填構造。赤と青に色付けしたところで結晶の配列が異なり、赤は立方パッキング、青は六方パッキングである。

実際に手を動かしてみなかったら解けなかったかもしれないので,何か未解決の謎や難しい問題に出くわした時、とにかく何かもがいてみることが重要なんだと、その時に実感しました。頭で色々考え、悩むことも重要ですが、とりあえずできること、できそうなことを体を動かして何でもやってみるというのも意外と問題解決の近道になるのだと思います。

 一方、研究者としてのキャリアを形成する過程でも悩みはありました。私が東北大学に異動する前には、愛媛大学の地球深部ダイナミクス研究センターというところに16年ほど在籍していました。地球の内部を主な研究対象とした研究機関で、主に高圧実験と合成試料の分析を通して研究を進めていました。研究センターですので大学の学部とは異なり、センターの掲げる共通の目標やトピックの下、チームで頑張ってゆく要素が強かったです。私は博士号を取得してすぐに就職できたのは幸いでしたが、センターの目的や方針に合わせて研究テーマも興味も変える必要がありました。大学は自由に研究をするところと思っていたところもあり、自分が取り組んでみたいことと、 現実の仕事として求められてることのギャップに悩み、教員になってからの最初の2、3年はいろいろ葛藤もありました。 もちろん真面目に仕事はしていましたが。ただ、その過程でダイヤモンドの研究と出会ったことでその後の流れが大きく変わりました。ちょうど当時の愛媛大では、「ナノ多結晶ダイヤモンド」という単結晶のダイヤモンドよりもかなり硬い、特異なダイヤモンドが実験的に生み出されたところでした。その微結晶の集合よりなるダイヤモンドは大変興味深い組織を持っており、それがどのようにできるのか?どうすればその組織を制御できるのか?が分かっていませんでした。結晶の「形」・「組織」という私の元々の興味とうまくリンクして、その後10年くらいは夢中でその研究に取り組みました。しかも、そのような特殊な硬いダイヤモンドが天然にも産することを偶然発見しました(図6)。誰しも面白い研究をしたい、自分の興味を追求したいと思いますが、「仕事」として研究をする場合、必ずしも自分の思い通りのことができるとは限りません.ただ,そのような中でも腐らずに与えられた、やらなくてはならないテーマの中から何か面白みを見つける努力や能力も大切だということを学びました。それらを通して得られた知識や知見、経験はいずれ必ず役に経ちますし、論理的にものを考える力やセンスの積み上げも大事です.

ダイヤモンド研究も一段落して、そろそろまた違った研究テーマにも取り組んでみたいなと思っていたところ、ちょうど東北大学へ異動することができ、今は学部所属の身として自由に学生と一緒に色々なテーマの研究に取り組んでいます。近年では、研究予算獲得のため、社会的にも重要度・貢献度の高い、真新しく、インパクトのある提案をすることが望まれており、知的好奇心を追及する理学の基盤的な研究を進めるのが昔よりも難しくなってきています。結果として、やらなくてはいけない研究と自分がやりたい研究の間に乖離が生じやすくなっているかもしれません。そのような中でもモチベーションを維持するには、その中からでも何か面白い部分を見つけ、そこに執着してみることも良いと思います。先にも述べたように、科学分野の様々な現象や課題の根底には共通の物理や化学があることがほとんどですので、それらを意識しながら自分で解釈を与えてみるのも楽しいですし、必ず次に繋がります。以上が、私の経験を踏まえたみなさんへのアドバイスです。

図6. 天然ナノ多結晶ダイヤモンド

取材させていただいた大藤先生、この場で改めて感謝申し上げます。取材日時の変更と調整、取材後の質問まで丁寧に対応していただき本当にありがとうございました。写真のご提供までいただき、重ねてお礼申し上げます。

即席”新”学問

ここではインタビュアーが自分の勉強している学問と結び付けて、インタビューの内容から新たな切り口を模索します。

「鉱物の技術哲学」 

文学部哲学専修3年 槙哲範

哲学と鉱物が結びつく点はなんだろうか。ふと考えてみて思い浮かぶ論点は二つある。「プラトンの正多面体」及び「実験器具が認識行為に与える影響」である。ここから、「鉱物の技術哲学」という分野を考えてみた。技術哲学とは、哲学の分野の一つである。この分野で指す「技術」とは「ものを生み出すこと全般」である。「技術」といえばなにか道具を作ることを連想しがちだが、広く「何かを生み出すこと」「何かを使うこと」に一般化して考察する。つまり、「創作する」芸術や「文字を使う」文学などとも連続性を見つけ出す。

 この分野の最たる特徴は、古代から自明のものとされてきた「人工物/自然」や「人間/人間以外」さらには「科学/技術」の二分法をまず疑うことだ。かつて(現在も?)はこのような二分法に基づき、どちらかがどちらかに一方的な影響を与えるという言説が支持されてきた。「AIが人間の仕事を奪う」というような言説もこれに近い。

しかし、当然のことながら技術なしに人間は存在せず、人間なしに技術は存在しえない。身体や認識などに関する哲学の蓄積を活かしつつ、「人間」という従来の考え方を刷新しようと考える分野である。

この分野とリンクして即席新学問を考えてみる。

「自然」に分類される鉱物も、もしかすると人間の認識行為に影響を与えてきており、広く「地球の中の人間」という考え方に影響しているのかもしれない。自然観は人間観をつくり、人間観が自然観を作っていることさえあるだろう。その手がかりとして、「プラトン立体」と「実験器具が認識に与える影響」を考えてみよう。

一つ目の手がかりであるプラトン立体とは、正四面体や正六面体、正八面体などのことである。これらは火や水などの元素と結びつけられ、古代の宇宙論体系に関わる。恥ずかしながら、正多面体とは昔の哲学者たちが頭で考え出したものだと思いこんでいた。しかし、実際に研究室で見せていただいた標本を拝見したところ、そうでもなさそうだと感じた。例えば黄鉄鉱は正六面体であり、蛍石は正八面体に該当する。あれこれ図を書いて考え出したものではなく、自然の中にあるものから発見した形なのかもしれない。このような立体が自然界に存在することに、神秘性や美しさといった「価値」を感じる人もいるだろう。また、正多面体でなくても、あらゆる結晶構造には法則性がある。このような法則性は数学の原点だけでなく、芸術を含め「調和」や「秩序」など人間がものを生み出すときのルール全般に影響を与えてきたかもしれない。

二つ目の手がかりとして、「実験器具が認識に与える影響」を考えてみる。鉱物すなわち「自然」と、先生のような「人間」の間には何があっただろうか。お話を思い返せば、電子顕微鏡、地球内部の圧力を再現してマントルに近い物質を生み出す器具、さらには結晶構造の模型……実に多くのものが介在していた。これらは完全にどちらかに分類することはできない。これらがなければそもそも研究は成り立ちえない。また「自然」として鉱物が現れてくることも、「人間」がその鉱物に向き合うこともなかっただろう。自然と人間の間に介在するこれらのものは人間が作り出したものであるから、「技術」に分類される。モデルをあれこれ触り「手を動かして考える」ことは「技術を使い考えること」になる。ほかにも、電子顕微鏡から得られたデータは、鉱物標本の微細な構造を手元に再現することを可能にする。技術は私たちの認識に決定的な影響を与え、ミクロの世界のイメージを「作る」役割をしている。

即席新学問としてさらに想像を膨らませてみる。地球を一種の職人として見立てることは可能ではないだろうか。「緻密な構造を持つ鉱物を作る」巨大な職人が、人間という「ミニチュア職人」になにかを作らせる。人間は作ったものを手がかりに、大職人である地球の技を解き明かそうとする。このような地球=人間観は時代に逆行するように思える。しかし、鉱物(自然)と人間の間に存在する「作ること、生み出すこと」及び「人間全般」について考えるためには、面白い切り口になるのではないだろうか。

(槙哲範)