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先輩の声

「学校」が好きじゃない、だから研究する!―ボランティア活動と全学教育授業で成長できた学部時代

 

西塚 孝平

東北大学大学院教育学研究科博士後期課程2年

 

宮城県仙台市出身。教育学部に入学後、ボランティア団体で活動し学会発表も行う。

現在は教育学研究科博士課程に所属し、教育現場における評価と改善について研究している。

 

インタビュー実施:2022年1月18日


 なぜ「教育評価」研究の道に?

 

西塚さんの専門分野と現在の研究内容について教えてください。

現在、教育と学習の「評価」を中心に研究しています。

「評価」には大きく分けて2種類あります。一つは、大学入試やテストのように、人間の能力を数量化したり序列化したりする、測定のための評価です。もう一つは、子どもが何を知ってて何を知らないのかの現状を把握し、学習ニーズを満たすという「改善のための評価」です。自分は後者の評価観を研究しています。

学校の先生は指導を日々改善したり、生徒の学びを改善したり、学校運営を改善するなど色々な改善に挑戦しています。ただ、改善は耳当たりこそ良いのですが、実際はとてつもなく難しいことです。なぜなら、何が問題なのかがなかなか特定できないからです。そこで、しっかりと問題を把握して目標を立てるためにはどうしたら良いのかというところを研究しています。

 

 現在の研究内容に取り組むようになったきっかけは何だったのでしょうか。

 中学時代以降、学校があまり好きではなかったからかもしれません。

小学校の時はすごく楽しくて、毎日放課後に友達と公園で秘密基地を作ったり、カードゲームや野球をしたりと、勉強もやりつつ充実していました。でも中学校、高校になると勉強要素が強くなってきて、部活を辞めてまで勉強一本に集中したのですが、結局大学受験も失敗して浪人したんです。その時から、何でそこまでして勉強しなきゃいけないんだろうとずっと考えていました。そうした中で怒りの矛先が「評価」に向くようになりました。

テストで100点を取ることはできるけど、人が生きていく上で大切な力はたくさんあって、自分自身、それがあまり身についてないって思ったんです。そういうものはテストでは測れないじゃないかと強く感じました。そこから評価のあり方がすごく大事だと考えるようになりました。

大学1年生の時に、全学教育科目で、今の指導教員の授業を受けました。そこで、「評価には2通りの考えがある」ということを教えていただいて、「あ、これだ」って思ったんです。子どもに寄り添うという意味での評価が自分は欲しかったんだな、と。そこから改善のための評価というものに関心が向くようになりました。

 

 先生の指導の改善、学校組織全体に対する改善とはどのようなものか、具体例を教えてください。

 最近では、学校が自分たちでカリキュラムを作るようになってきています。今まで教科書ベースで指導していたものが少しずつ教科を横断するようになり、国語と数学の先生が協力して指導するといった事例が増えてきています。

与えられた問題に取り組むだけでなく、子どもたち自身が自分で問いを立てて問題を解決していく学習を、「探究学習」や「課題解決型学習」と言います。このようなタイプの学習は、中学校や高校で増えてきています。

一方で、このようなカリキュラムを作る際に参考となる先行事例がほとんどないので、学校の先生が自分たちで作っていく必要があります。使えるリソースは学校ごとにそれぞれ異なるので、自分たちの学校でできる教育活動を考えていかなければなりません。そのため先生たちは協力して日々会議を重ね、カリキュラムや教育内容を決めるのですが、実際の生徒の学びはコントロールできないので、予想もつかないところにいったりするわけです。このような中で、先生たちはその都度改善して調整していく必要に迫られます。

写真:学校教員による校内研修の様子

 

研究で面白いと感じる点はどこでしょうか。

 現在は「学校の教育活動を鼓舞する研究」をしていて、学校の先生たちの定期的な会議に参加させてもらっています。そこで、自分の提案に対して先生たちが好意的あるいは批判的なリアクションを取ってくださるのですが、そのやり取りを通して先生たちが自分で新しい意思決定をしていくのがすごく新鮮なんです。

自分が関わったからこそ物事を進めているように感じられて、それがやりがいになっています。ただ客観的に現象を分析しているだけではなく、自分が実践そのものに働きかけていけるところが純粋に楽しいですね。

 

反対に、研究を行う中での壁や難しさはありますか。

自分の性格が研究に影響してくるところですね。自分はコミュニケーションがあまり得意ではないんです。でも、学校に行くと先生方と話す必要があって、その時は楽しく話せても、後で結構疲れているなと感じることがあります。

あとは、うまく先生たちの考えを引き出せているか、コミュニケーションを取れているかどうかも気になります。研究能力は、単にしっかり分析や考察ができるかといったことだけではなくて、1人の人間として関わる力が必要なので、正直、自分の性格の面が壁になることはありますね。

 

そうした難しさをどのように乗り越えていらっしゃるのでしょうか。

 自分にできることは限られているので、その中でも何ができるんだろうと探しつつ研究に活かすようにしています。自分は、即興でやりとりすることはそんなに得意ではないのですが、時間をかけると深いことまで考えられるタイプです。そのために、学校の先生と対面で話すだけでなく、メールでやりとりすることも多くあります。自分の得意なことを研究方法に活用しているイメージですね。「長所を活かして苦手なところをカバーする」ということかもしれません。

 

学部1年生の時に学んでいたこと

 

東北大学の教育学部に入学した経緯とは?

東北大学に入学した理由は、当時から「研究」に興味があったということと、卒業生の皆さんが様々な方面で活躍されていることを知ったからです。研究の他にも、教育に関連した活動やお仕事など色々なことができる開かれた場所だと思っていました。

 

もともと教育に興味があったんですね。

高校生の時、もともと医者を目指していたのですが、途中で文転しました。そのあたりから教育のあり方について気になって考えるようになりました。また、「もともと医者になりたかった」のも、特に精神科医になりたかったんです。当時も、いじめや不登校などの問題がたくさんあって、そうしたことに貢献したいという思いからでした。

しかし、医者は「問題が起きてから」対処するので、「問題が起こる前」の予防ができません。問題を予め潰しておく必要があると考えた時に、教育や学び、発達という分野を選んだほうが根本的な解決になるんじゃないかと思ったというのも理由です。

  

学部1年生の時、大学生活をスタートする中で意識していたことはありますか。

 とりあえず何でも挑戦しようと思っていました。授業も「どれだけ単位をとれば卒業できる」という数は分かっていたのですが、せっかく学費を払っているのだからと、とりあえず面白そうなものは全部受けてみようと思ったんです。だから、単位の数は気にしなかったですね。

例えば、教職の授業の中に教育原理や教職論に関するものがいくつかあって、どれか一つ選べば良かったのですが、一つは履修して、あとは自由聴講にして単位はいらないけど聞きに行くという形で、全部に出席していました。色々なことを知りたいなという思いで授業を受けていました。

 

1年生の時から自分の知識の幅を広げることに興味が向いていたのですね。

当時から、大学でしか知り得ない世界があると思っていました。教育学部生でしたが、物理学や理系の授業も結構受けていました。医工学では最近増えているロボット手術について学び、それがどういうメカニズムで動いているのかなど、教育学部や大学の外にいるだけでは分からないようなことを知る機会になったのは良かったですね。

 

学部時代はどういった学習をしていたのでしょうか。

学部1・2年生の時は主に全学教育(一般教養)の授業を受けていたので、あまり教育や専門とは関係のないことをしていました。でもそれはそれで楽しくて、特に役に立たないだろうというのは分かっていたのですが、知的欲求を満たす授業がたくさんあったので真剣に受けていました。学部3年生から専門科目が増えてきて、その頃から評価や改善の研究も始めました。ただ、どういう学習をしていたかというと、全体的に聴く授業が多かったですね。チームを組んで一緒に研究するような授業もあったらよかったのになと感じていました。

 

授業外で自主的に学習する時間などあったのでしょうか。

授業が中心だったのですが、教育のセミナーやイベントには行ってみようかなと思い、日帰りで新潟の方に行ったり、1週間丸々東京に行って評価研究のセミナーに行ったりしていました。東京の方ではたくさんイベントがあるので、何かまとまったイベントが開催される時に夜行バスに乗って参加するということはしていました。

 

入学後に苦労したことなどはありましたか。 

ボランティアサークルに所属していたので大学の外の人とは交流があったのですが、大学内の友人、教育学部の仲間はあまりいませんでした。ですので、試験があるというような時に、過去問が手に入りづらくて少し大変でした。

 

学内でのコミュニティができない大変さを、どのように乗り越えていらっしゃったのですか。

そこは割り切っていましたね。得る物もあれば失う物もあるので。他の大学の学生と交流しているというのは、それはそれで、自分にしか経験できないことだって思っていました。

外で活動していると言っても同じ教育学部に友人が少しはいたので、最近の学部の事情などは聞いたりしていました。だから、あまり「克服した」という感じはないです。

 

ボランティア活動を通した成長

 

ボランティア活動に参加していたとのことでしたが、詳しく教えてください。

大学に入学してから、東日本大震災の復興支援ボランティア団体に所属しました。小さい頃から誰かの役に立ちたいとは思っていて、小学生の時にはボランティア委員会にも入っていました。

でも高校1年生の時に東日本大震災があって、その時何もできなかったんですね。被災地に住んではいたけれど、勉強を言い訳にして、沿岸部に行かなかった自分がいて、それが頭の中にずっと残っていました。大学受験で浪人している時には、大学に入ったら復興支援に携わろうと思っていました。

 

具体的にどういう活動をしていらっしゃったんですか。

参加した団体では、教育支援と足湯をおこなっていました。石巻市と山元町という県の沿岸部と県南の方の仮設住宅で活動していました。ただ、自分が入学した時には、活動が形骸化していて、足湯のボランティアをしに行った時に、「君たちが来るからわざわざ自分たちも外に出てくるんだよ」と言われてしまい…。自己満足でやっているだけなんじゃないかという問題に直面したんです。それが学部1・2年生の時でした。

その頃はすごく悩んだ時期でもあって、それでも何かできることがまだあるんじゃないかと考えていました。毎週のように石巻まで原付バイクで1時間半〜2時間かけて行き、震災の伝承館や商店街の人たちとコミュニケーションをとって、「最近どうですか」「何が問題ですか」といった聞き込みや雑談をしていました。

そうした経験の中で、ニーズは、既にあるものを「見つける」のではなくて、「作り出していく」ものなんだって思ったんです。対話やコミュニケーションを通してニーズを一緒に作り出していく。そのニーズに応えていく。そういったことができるんじゃないかと考えて。その考えを団体のメンバーに伝えて、一緒にやらないかとプレゼンしたんです。その後、新しいプロジェクトを立ち上げて、ニーズを作り出す活動をやるようになりました。

 

具体的にどんなニーズを作り出してプロジェクトを行っていらっしゃったのでしょうか。 

例えば、ある住民とお話をしていた時に、仮設住宅の集会所でやっていた料理教室のイベントが最近なくなったというような話がふと出たんです。それで、自分たちで代わりにできないかと思い、何回か料理教室を開きました。ニーズを引き出し、作るのは大変だったし、この考え方に賛成してくれる人もいた一方で、「それってどうなの?」と懐疑的に感じたメンバーが抜けてしまうこともありました。

 

他大学の学生と関わる機会もあったとおっしゃっていましたが、そちらはどのような経緯で繋がるようになったのでしょうか。

震災のボランティアをしていく中で、自然とですね。似たようなボランティア団体やNPO法人があって、そういう団体組織が一挙に集まるイベントに顔を出した時に、お互いのことを知っていきました。

写真:2016年熊本自身の派遣支援

 

行動力と成長を生み出す源泉とは?

 

先ほどから行動力に溢れたお話が多くて驚きました。

そうした行動力は元から持っていたものなのでしょうか。

一つは高校時代の反動があります。ずっと勉強だったので、大学では自由でいたいと。まずは飛び出て色々な人と交流したかったのだと思います。大学の中でも交流はたくさんできますが、どうしても均質な集団になってしまうというのも感じていました。はっちゃけているような人と巡り合うには外に出て、彼らから刺激を受けたいと思ったんです。在学中に会社を立ち上げるといった、どこまでもアクティブな大学生もいて、そういう人に憧れを持っていました。

 

 大学1年生の時にやっておけばよかったと思っていることがあったら教えてください。

自分のやってきたことに後悔はほとんどありませんが、あるとすればあまり自分と向き合わなかったところです。

大学は、自分を見つめ直す大事な時期だと思います。バイト、サークル、ボランティアと、目の前のことに励むことは、それはそれで良いと思うのですが、あまり自分のことを振り返る機会がなかったなと思って。自分のことを正しく知る機会があまりなかったというか。自分の能力や性格をあまり気にすることなく、あれこれしていたと思います。結果、挑戦した、体験したという履歴だけが残り、意味を得られなかったことが時々あったので、反省しています。

 

1年生に戻ったとしたら西塚さんはどのようにすると思いますか。

自分のことを過大評価していないか、過小評価していないかと考えますね。

最近調子に乗っているんじゃないかなとか、逆に謙虚になりすぎていないかなとか。そういうことを考えてみて、慎ましくなりすぎているなと思ったら冒険してみても良いですし、はっちゃけすぎているなと思ったら少し冷静になってみるのもありだと思います。結局バランスだと思うので、そういう時間を作るのは一つの方法かもしれないです。

 

自分のことが好きになれないと感じる時に、どのように乗り越えていくのが良いでしょうか。

ネガティブな思考については良い時も悪い時もありますが、それに浸っているだけだと前に進めません。ネガティブになるのは、自分が受けてきた愛情が少し足りないからだと感じます。なのでそういった愛情を探してたくさん受け取れるような行動をすることをおすすめします。苦手克服も大事ですが、好きなことをひたすら突き詰めてやると自分に少しずつ愛情を感じられると思います。大学は基本的に何をしても良いところというのが本当に救いです。好きなことが見つからないのであれば、他の人たちが何をしているのか観察して、それを好きになってみても良いと思います。

8年間大学にいますが、正直性格はあまり変わらないです。性格を直したいと思うことは何回もありましたが、それで変わったかというとあまり変わってないですね。なので悪いところを良い方に変えるよりは、それらをなるべく見えないようにしてむしろポジティブなところを出せるようにした方が良いのかなと思っています。

 

教職の授業から見えてきた将来の目標

 

教職の授業のお話もありましたが、どのようなスケジュールでとっていたのですか。

自分は中学校と高校の国語の免許を取得しましたが、1・2年生の時は川内北キャンパスで教職論や教育原理など一つの授業に大人数が参加するような授業を集中的にとっていました。3・4年生になると国語の専門の授業が始まるのですが、自分は国語の専門家ではないのでそれを何十個も一気に取るのは少し大変かなと思い、取れる単位は先に取る必要があると考えていました。

おそらく初めから教師になると考えている人であれば、卒業までにゆっくり単位をとっても良いと思うのですが、自分の場合は教師になるか、研究に進むか、公務員を目指すか、民間に就職するかなかなか決められず、4年生は就活で忙しくなるということもあって、なるべく前倒しで授業は受けていました。

 

教職の授業を取る中で学んだことや見えてきた理想の教師像などがあれば教えてください。

教育を研究しようと思ったきっかけは、学校教育に対する疑いやネガティブなものがあったからだと思います。

それまでは、それを学校の先生のせいにする時もあったのですが、教員志望の学生と交流したり、大学の授業で教職について理解を深めたり、教育実習の中で先生方とお話ししたりする中で、学校の先生はすごく一生懸命だと思ったんです。受験のために教えているわけじゃないし、本当は一人一人の子どもに丁寧に接していきたいんだと。学校や先生は希望のある場所で、心から尊敬できる方ばかりだと改めて感じました。そういう考えは、先生や子どもたちを後ろからサポートしたいという今の研究の軸や信念と繋がっていますし、自分自身の教育観もちょっとずつ変わっていく機会になりました。理想の教師像は、やはり謙虚な人ですね。いつでも学びに変えられる人です。教室で授業をすることは簡単なことではないんです。決められたことや計画していたことをすれば良いと思うかもしれないですが、実際にそれはできなくて。子どもは先生が思ったとおりには思考しません。そうなった時に、強制的にこれを覚えろと言ったり生徒を叱りつけたりして、自分の都合の良い様に子どもを動かしたいって思うかもしれませんが、そうするとますます子どもは先生から離れていきます。謙虚な先生はどんな時でも子どもたちから学び反省して次に活かそうとしたり、信頼関係を作って意味のある楽しい授業ができたりするのかなと思います。

 

こうした教職の授業も経験した中で、大学院で研究しようと決断した経緯を教えてください。

 自分にできること、自分の良さが出せる手段が研究だと思ったんです。それをすごく感じたのは学部4年生の時です。震災ボランティアのメンバーとして国際会議で活動を報告する機会がありました。終わった後に、発表内容を査読付き論文にできるというアナウンスがあって、自分たちの活動を学問に載せることができるんじゃないか、そうすれば団体が後世に受け継がれていくのではないかと。インターネットなど発信媒体は色々ありますが、学問に載せるというのは聞いたことがなくて。書くという作業にそこまで抵抗がなかったので書いてみたんです。結果それが採択されました。その時に研究の立場から人のために何かできるんじゃないかと思ったのが、大きな出来事でした。

学校の教師になるのは難しいと思ったんです。ただ、教育のために尽くしたいと思った時に、教壇には立てないけど、先生や子どもたちを後ろから支えることはできるんじゃないかと。その手段として研究があると考えていました。

 

今後、博士課程を卒業して研究者となっていく中で、将来的なキャリアや人生の目標があれば教えてください。

研究を続けていくかどうかは常に悩み事でもあります。今は研究員として採用いただいているので、研究者としての素質はあるのかもと思ったりもしますが、自信があるわけではないので研究一本で生活していくというのはあまり考えていません。大学の外で研究できることもたくさんあるので、生活の一部として研究することも良いのではと思ったりもします。キャリアとしてはもちろんこのまま大学で働くことができれば嬉しいですが、すごく難しいことなのであまり期待せずに過ごしています。教育については公務員やNPO法人で働くっていうのもありますし、その時に出会った人次第で人生は変わっていくと思うので、そういう出会いを大切にしたいです。

 

学部1年生の皆さんへのアドバイス

 

目標を見つけるというのは難しいことでもあると思います。特に学部1年生にとっては大変だと思うのですが何かアドバイスなどありますか。 

大学合格が目標だったので、入り口には立てたけどこれからどうやって生き抜くかは考えていませんでした。どういうふうに目標を立てられるようになったかというと、新しいことに挑戦し続けたことが一つあると思います。行ったことのない、見たことのない世界を積み重ねていった気がします。それまで美術館や博物館には興味がなかったんですけど、ふと思い立って一人で行ってみた時に、何か感性が刺激されたのか、今までしてこなかったことをしたことによってちょっとでも自分が変わったように感じました。絶えず周りからの新しい刺激を受けることが大事だと思います。

 

コミュニケーションが苦手ということでしたが、本日インタビューをさせていただいていて、非常にわかりやすくお話しされているなと感じました。
何か意識していらっしゃることはあるのでしょうか。

自己肯定感の上がることを言っていただいてありがとうございます(笑)。そこまで深く考えたことはないのですが、あるとすれば、基本的に自分の話していることは理解されてないと思ってるから、でしょうか。

そういう少しネガティブな前提があって、ただそれでも理解してほしいんだ、伝えたいことがあるんだっていうものも持っているので、それを伝えるにはどうしたら良いんだろうと考える中でこのような話し方になったりするのかなと思います。

 

最後に1年生の方々へメッセージをお願いします。

色々なことに挑戦してほしい、また、自分の力だったり性格だったりというものを見誤らないようにしてほしいと思います。過大評価したり過小評価したりせず、ありのままの自分を知り続ける。そうでないと、結局挑戦したことの意味や成果が残らないような気がしています。何かに挑戦したという事実は残りますが、それを通して何を学んだか、自分がどう変化したかというのは、自分のことを正しく知っておかないと、なかなか見つけられないものだと思います。

写真:石巻市仮設住宅の夏祭りで熱唱!