Voice

先輩の声

相手は何をしてほしいか、自分は何をしたいのか ~コミュニケーションに対する姿勢と挑戦の大切さ~

小森谷 仁子 Komoriya Satone
東北大学大学院文学研究科修士2年
東北大学大学院文学研究科日本語教育学研究室所属

 

競技かるたで全国大会に出場したりボランティア活動などを積極的にしたりしながらも
現在は日本語教育の研究のために大学院で学ぶ小森谷さん。
どういった経緯で大学院での研究分野を決めたのか、勉強以外の活動ではどのような活動を
行ってきたか、さらには将来のビジョンなどをお聞きしました。

作成日:2023年12月

編集者:堤日和(B1) 渡邊湘悟(B1) 松田浩嘉(B1) 小倉韻生(B1)

1.新たな学問への挑戦
2.教える立場としてのコミュニケーション
3.海外や異文化に対する興味
4.人と繋がった競技かるたの世界
5.やらずにいるのはもったいない

――――――――――――――――――

1.新たな学問への挑戦

私は現在、大学院で主に日本語教育学についての研究をしていますが、この分野の研究を始めたのは大学院に入ってからです。私は学部生の頃から東北大生だったわけではなくて、大学院に進むタイミングで別の大学から東北大学の大学院に来ました。学部生の頃は法律を専攻していたのですが、4年生になり進路について真剣に考えたときに、日本語教師という仕事に興味を持ったんです。理由としては、元々海外に行くのが好きで多種多様な文化をもつ人々と交流するのが好きだったこと、それと日本が好きで日本の文化をもっと発信したいと思ったことがあります。そして日本語教師という職業が自分に合っていると思い色々と調べたんですけど、そこで日本語教師としてキャリアを築いていくには修士の学位が必要だと知って、大学院に進むことを決めたんです。文学研究科を選んだ理由はもちろん日本語教育学を学ぶことができるからですね。数ある大学の中で東北大学を選んだ理由は、学費という面もありますが、やはり一番大事だったのは自分が興味のある研究分野を研究している先生が東北大学にいらっしゃったからです。経済的な問題などももちろん大事ですが、自分のやりたい勉強や研究ができるということに勝るものはないと思います。

日本語教育学の研究は学部生の頃にしていた法律の勉強とは全然違います。法律は勉強するにあたって六法や判例をとにかく重視し、頑張って内容を覚えるのですが、日本語教育学では目の前にいる人と直に接してしっかりと自分の頭で考えることが必要とされます。実際に生きている人に対して、どのように日本語を教えるか、どのように研究するかを考える学問で、法律を扱うときとは使う頭の部分が全く違っているということを実感します。それまで学んでいた法律は私にとって基本的に暗記科目だったのですが、日本語教育学は覚えたことを当てはめるのではなくて、事例をどう改善するのか自分で考えなければいけません。その際には対象となる人についても考える必要がありますね。その人がどのような文化的背景をもっていて、嫌な気持ちにさせないためにどのような配慮が必要なのかといったことです。この点が法律と全く違います。そのような全く異なる分野の学問を大学院から新たに始めたので、院に進んでからはすごく大変でした。それでも、大学院から新たな学問に挑戦するということに対する事前の抵抗や不安はありませんでしたね。

現在は研究の一環として、オンライン上に作ったコミュニティに日本語学習者の方を募集して、雑談したりゲームをしたりする中で参加者が何を学びどう変わっていくのかを分析するということをしています。学部生の頃にベトナムへ留学したことがあったのですが、そこで日本語を勉強しているけれど実際に日本語を話す機会がないという方がたくさんいたんですよね。日本語を勉強していてもいつ使えるかわからない、日本人の友達を作って日本語で話したいけれど留学は経済的に厳しいという日本語学習者が多かったんです。当時は新型コロナウイルスの流行から日本に行くのが難しいということもありました。それならばオンラインで日本人と交流できる場所を作ればよいのではないかと思い、コミュニティを作るにいたったんです。参加してくださる方々は、最初の頃は用意されたプログラムをするために来ているといった姿勢だったのですが、段々と自分のしたいことや話したい内容についての提案をしてくださるようになりました。そういった、活動の中での参加者の変化に注目して研究を進めています。

2.教える立場としてのコミュニケーション

現場で実際にどのような日本語教育が展開されているのか興味を持って、授業補助の有償ボランティアをしたこともありました。海外から日本に来ている高校生の日本語学習をサポートするというものです。一緒に隣で授業を受けて、先生が今何をしているのか、教科書のどこを読んでいるのかといったことを適宜伝えるというかたちでのサポートでした。サポートする子の力になれていたらいいなと思いながら取り組みましたね。そうしたボランティア活動を通じて、人をコントロールしようとしてはいけないと思うようになりました。自分がしたい日本語教育のかたちというものはもちろんあります。それが大事なときもあるんですけど、まずは学習者自身が何を求めているのか、何に困っているのか、授業でどのようなことをしたいのかを理解して、それに対して自分がどうアプローチできるのかを考えることが大事だと今は思っています。自分の我を出すのではなくて、相手をしっかり見て、相手が求めていることを考える。でないと「あれもしてあげたのに、これもしてあげたのに」となって空回ってしまうと思います。現在私はチームで初級の日本語学習者の方々に対して、自分たちで考えた構成の授業で日本語を教えているのですが、授業への参加を募集する段階でニーズ調査をするんです。そこで参加者の方々がどのような日本語を学習したいのか、どのようなことに困っているのかを把握して、それを踏まえた構成の授業をするようにしています。もちろんアンケートフォームだけではわからないこともたくさんありますが、実際にその人と対面で話してわかったことやふとした言葉からわかったこともしっかり授業に生かすようにしています。相手をコントロールしようとせず、できる限り相手が何を求めているのかを理解して対応することが大切なのだとボランティアを通じて感じるようになりましたね。

できないことよりできることに目を向けるというのも教えることにおいて重要だと思います。自信がない方だとできないことばかり注目してしまって、あれもできない、これもできないと考えるばかりでできていることを見失ってしまうことがあります。日本語学習を始めたばかりの方だと自分がどのくらい日本語を話せるのかまだよく把握していない方が多いので、そういった方のできることに目を向けて伝えることは大切だと考えています。自分ができることを知るのはモチベーションにもなるし、「今はここまでできているから次はこれをできるようになればいいんだ」という学習の指針にもなります。できることに積極的に目を向け、伝えることは意識していますね。

教える際に心がけたいこととしては他に、私には先生として目指している2つの姿勢があります。1つ目は東北大学で出会った先生の姿勢なのですが、この先生は注意するときに先生自身の感情が入らない方でした。学生を注意しなければいけないときに感情的にならず、ただその学生が注意されるべきことをしたという事実と、どう改善すべきかを端的に言ってくださる先生です。そしてその学生の失敗を引きずらないメリハリのある先生。これからどうすればいいのかがわかりやすく、切り替えて次に進みやすいアプローチをしていると感じて、この先生の姿勢を見習いたいと思いましたね。もう1つは学習者と対等な立場で話を聞こうとする姿勢ですが、これは授業見学でベトナムの大学に行ったときに実際に目にしました。教師と学習者だとやはりどうしても授業内で権力差が生じてしまうのですが、それでもできる限り対等に学習者と接して、共に楽しい授業を作ろうとする姿勢が理想的だと思いました。二つを踏まえれば、できる限り学習者にとって近い存在としてコミュニケーションをとることができて、注意する際はメリハリをつけて端的に注意することのできる先生が、私の中では良い先生だと思います。近づけるように頑張ります。

3.海外や異文化に対する興味

私は学部生の頃は他の大学の法学部に所属しており、様々な授業を受けました。その中には現在の私を形作っているかもしれない印象的な授業がいくつかあります。法律系の授業の中では国際関係法の授業が印象に残っていますね。違う国同士で裁判を起こすことになったらどちらの法律を使うのかといった、法律の国際的な運用を学問的に勉強するという内容で、とても勉強になりました。文化に関する授業も楽しかったです。色々な文化に興味があったので、ヨーロッパの文化、日本の文化、あとはアイヌ文化などを学ぶことができる授業は私にとって面白いものでした。

授業とは少し違うかもしれませんが、日本人学生がベトナム人の方と交流するという短期研修プログラムに参加したことがあり、良い経験になりました。2週間の短期プログラムで、6月には日本にベトナムから学生が、12月には私たち日本人学生がベトナムに行って、交流しながら様々なことを学ぶというものです。単位が出たので、あれも授業の一環だと思っていいのかな。とにかく、とても楽しい体験でした。思えば海外に対する興味が強かったために、国際関係の授業を面白いと感じやすかったのかもしれません。

私は子どものころから、親がもともと海外旅行好きだったこともあって、海外に行くのが好きでした。大学生になってからは留学と、自分でお金を貯めて旅行で海外に行きました。留学ではスペインとニュージーランドに一か月ずつ行って、その他にも旅行で様々な国に行きました。マレーシアやベトナム、台湾、シンガポール、フィリピン、タイなどのアジア圏は、日本から近くて費用もそれほどかからないのでおすすめですよ。そんな感じで何度も海外を訪れているのですが、カルチャーショックのようなものを感じたことは不思議とありませんね。カルチャーショック自体がないというよりは、何か日本と違う部分を見つけたとしても、だいたい「この国ではそうなんだな」と受け入れることができる性格であるということかもしれません。子どもの頃から家族旅行で海外に行っていたり、叔母が国際結婚をしていたり。そのため海外について話を聞く機会も多く、小さな頃から海外というものに慣れているからか、海外や異文化に対して怖いという感覚を持つことがありませんでした。恐怖や不安よりも好奇心が勝るといった感じでしょうか。それもあってか、違う文化を持つ人たちと交流するのが好きで、これは日本語教育を研究しようと思った理由の1つにもなっています。

4.人と繋がった競技かるたの世界 

私は競技かるたが好きで、サークル活動や個人での活動としてかるたに打ち込んできました。競技かるたそのものに興味を持ったのは中学生の時ですね。中学校で開催されていた年に1回の百人一首大会で百人一首という存在を知り、またその楽しさも同時に知りました。加えて、私は漫画が好きでよく読んでいたのですが、母親が「どうせ漫画を読むなら勉強になりそうなものを」といって競技かるたを題材にした漫画を渡してきたこともきっかけの1つですかね。この2つからかるたに興味を持つようになりました。幸運にもその時中学校にたまたま百人一首部があったので、中学生のころから競技かるたをずっと続けています。

競技かるたに長い間打ち込むことができた理由としては、ゲームとして楽しいことはもちろんですが、かるたをしていると幅広い年齢層の様々な人々と関われるということも挙げられますね。かるたの世界では全国大会が1か月に1回とか2回のペースで頻繁に行われるんですが、自分と同じ学年の人だけじゃなくて年配の方や小学生くらいの子とも仲良くなる機会が持てるんですよ。こういった様々な人との繋がりを持てたことが、かるたを続けることができた大きな理由の1つです。この人にまた会いたいからこの大会に出てみようかな、というように人との繋がりがかるたへのモチベーションそのものになることもあります。競技かるたの世界で得た繋がりは大切にしていて、もう10年以上の付き合いになる人もいます。このように私にとって競技かるたはとても魅力的なものであり、かるたをやめたいなと思ったことはないですね。

競技かるたをしていてよかったと感じる点は、話のネタになることと、様々な人と接する中で人との関わり方を学ぶことができるということです。先ほども少し話しましたが、競技かるたの世界には年齢の壁がなく、また全国規模の大会も開催されるため、本当に色々な人と接することができます。全国各地にお友達がいるような感覚です。そういった人たちと関わっていく中で、礼儀や作法を学ぶことができました。学生同士のコミュニケーションだと礼儀や作法についてある程度は許容されるじゃないですか。でも社会人の方や自分が所属していない組織の方と接するとき、言葉遣いや態度を考えるので、勉強になりましたね。食事の席でのマナーといった、接するだけではなくて観察から学べたことも沢山ありました。かるたの話だけでなくて、仕事の話や勉強の話など、幅広い世代の方から様々なお話を聞くことができたというのも、競技かるたをしていてよかったと感じる大きな理由です。

大学の競技かるたサークルでも人との関わり方について学ぶことができました。学部生の頃、私は部長を務めていたんですが、参加している方々をコントロールしようとして、過度な干渉をしてしまったんですよね。でもそれで失敗しちゃって。だから人に対して干渉し過ぎないようにしよう、無理にコントロールしないようにしようと気をつけるようになりました。この教訓は日本語教育にも活かされていると思っています。学習者が今どのようなことを必要としているのかを考え、自分のすべきサポートをしよう。この考え方は学部生時代の競技かるたサークルからも得られたものなんです。

5.やらずにいるのはもったいない

何か新しいことに挑戦するとき、私はいつも、インドネシア語で「なんとかなるさ」を意味する「ティダアパアパ(Tidak apa apa)」という言葉を頭の中に思い浮かべて行動するようにしています。すごく行き詰っているときやどん底にいるようなときでも、いつかどうにかなるさと考えるようにしています。だから楽しそうと感じたことならとにかくやってみようと思うようにしているんです。新しいことをするときにあまり不安はありません。もちろん実際に行動に移してみてから不安に思うことはたくさんあるんですよ。あれもやらなきゃこれもやらなきゃ、これも勉強しなくちゃ、これ締め切り間に合うかな大丈夫かな、って。でもせっかく時間やお金があるんだったら、不安がらずに新しいことをやってみてもいいんじゃないかと思います。やらなかったことを後悔したくはないです。もし合わなかったらやめればいいし。将来のためになるかもしれないのに、それをしないでいるのはもったいないと思います。大学生活は思ったより短いんですよ。私はもう7年大学にいるわけですが、学部生時代の4年間は本当にあっという間に過ぎていきました。大学生活に順応して、それから何かを新しく始めようとしたらもう就活が降りかかってくる。多くの人がそんな感じで、新たに挑戦を始める時間はほとんどありません。だからせっかく東北大学に入ったのなら躊躇わずに、留学とか短期研修プログラムとかをやってみてもいいんじゃないかと思います。たとえだめだったとしてもそこから学べることも必ずあると思います。

私は大学生活をやり直せるとしたら、もっと色々なコミュニティに入っておけばよかったと思います。サークルの中では友達がたくさんいたんですけど、それ以外にも、例えばボランティアの団体に顔を出してみたり、留学や異文化交流などに参加したりして、もっと人との繋がりを作っておけばよかったなと思っています。あとは授業を真面目に受けておいたほうがよかった、第2外国語をもっと学びたかった、などがありますね。自分の身の回りに第2外国語の知識を活用している、例えば留学に行ったりとか大学院で授業に参加したりしている方々がいるので、第2外国語の勉強はもっと真面目にしておきたかったと思っています。今からもう一回学びなおすことを検討しているくらいには、第2外国語の重要性を今になって感じていますね。

その他に、自分が体験してきたことについてもっと自分の頭で考えておけばよかったと思うことがあります。自分が体験してきたことをそのまま事実として受け入れるのではなくて、なぜ自分がそのような体験をすることになったのかを考えておけばよかった、それができずともせめて自分がその時どう感じたのかを見つめなおしておけばよかったと思います。自分がどのようなことを学んでいたのか、周りの人がどのように動いていたのかをもっとよく見ておけば、後にその体験をより生かすことができたのではないかと考えることがあります。

現在の東北大学の学部生の皆さんとこれから東北大学に入学する方々には、とにかく大学生活を楽しんでいただきたいです。あとは大学側から提供される色々な情報について自分から調べて、実際にやってみることが大事だと思います。やりたいことをぜひやってみてください。