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先輩の声

「書を持って町へ出よう」 〜社会人を経て、再び大学院へ〜

中野 惟文 Korefumi Nakano

東北大学大学院文学研究科 博士課程3年

東北大学大学院文学研究科博士課程3年。文化人類学研究室所属。

東京都出身。埼玉大学を卒業後、東北大学大学院文学研究科修士課程に進学。修士課程修了後、社会人として働くが、数年前に再び大学院博士課程へ入学。

カンボジアの呪術に関する研究に取り組んでいる。

記事作成:2023年2月

編集:白倉龍佑(文B2)

◇受験勉強よりも、自分の興味に忠実に(中学・高校)

中学生、高校生の時に力を入れていたことを教えてください。

私は私立の中高一貫校に通っていて、部活は生物部や科学部を転々としてました。委員会活動としては図書委員長をやっていましたね。あとは、カードゲームの遊戯王で、友達と6年間デュエリストとして戦い続けました。学校は進学校だったので、大学受験をしなきゃいけない空気でみんな受験勉強をするんです。でも、私は受験勉強がすごく嫌いで、死んでも受験勉強なんかしないぞと心に決めていたので、受験勉強の代わりに自分の興味があるものを何か伸ばそうと思っていました。それで、例えばくずし字という掛け軸なんかに書いてある字を読めるようになりたくて、くずし字についての講座を開いてほしいと先生にお願いしたりしていましたね。

自分の興味のあるものを伸ばすことができたなと思う経験はありますか?

高校生の時、中高生を対象に、南極でどんな実験をしてほしいかを募集するコンテストのようなものがあって、それに応募して特別優秀賞を受賞したことですね。国立極地研究所という、南極や北極の調査をする研究所が主催していました。授賞式で、「君みたいな人が、昨今の理系離れの中でこういう研究をやってくれるのはすごい嬉しい」と、研究所の人に言われて嬉しかったです。でも当時はもう文系に行こうと決めていたので、すみませんという気持ちでいましたね(笑)

◇社会人を経て、大学院博士課程へ

大学を卒業されて、そのまま大学院に進まず、社会に出た理由を教えてください。

実は、私が社会人になったのは学部を卒業したタイミングではなくて、大学院に進んで修士課程を終了した後のタイミングなんです。埼玉大学の学部から、東北大学の修士課程に進みました。東北大学では、カンボジアに行って調査をしたかったんですけど、博士課程まで進む予定はなかったので、修士課程の時は仙台の地場産業としての仙台味噌の経営に関する研究をしていました。ただ、それが終わった時にやり切った感が少しあって、燃え尽き症候群みたいな感じだったんですよね。周りもみんな優秀な人なので、このまま博士課程に進んでもあまり良い感じはしないというのと、その頃にはカンボジアというのも記憶の中で薄れてしまっていて、このまま地場産業の研究を続けたいわけでもないなという葛藤の中で、「一回働いてみるか」という、割と軽い気持ちで社会に出ました。

修士課程卒業後はどのようなお仕事をされていたのですか?

人材派遣会社の経理財務というところで働いていました。具体的には、クライアントからの入金がきちんとされているかを確認して、されていない場合は営業と先方の経理に電話して、入金を催促する仕事をしていました。

一度社会に出た後で、もう一度大学院に入り直そうと思ったのはなぜですか。

博士課程に進まなかったことが、心残りだったからです。その仕事は純粋に面白かったし、得るものもたくさんあったので、このまま働くのも良いかなと思ったんですけど、どこかで博士課程に進学しなかった、諦めてしまったみたいな心残りがありました。博士課程を諦めたことは、ある意味で自分で負けを認めてしまったところがあるので、リベンジするような気持ちでしたね。

それから、社会に出て働いている中でいろいろな人に出会ったことも大きかったですね。私がいた会社では、この人大丈夫なのかな?というような人から、立派だなと思える人まで、本当にさまざまな人がいたんです。大学だと、変な人も大体そんなに変じゃなくて、あまり差がないじゃないですか。私自身、一度社会に出てから大学に戻るのはあまり良くないというようなことを思っていたんですけど、世の中にはあっち行ったりこっち行ったり何もしてませんみたいな人もたくさんいるということがわかったので、もう一度リベンジしてみるのも面白いんじゃないかなと思うようになりました。

ストレートで進学するのではなく、一度社会に出たから気づけたことも多かったということですか?

そうですね。戦略的な話をすると、研究者はたくさんいるんですけど、一番多いのは、大学、大学院、研究職という流れでストレートで研究者になる人なんですよね。それはそれで良いと思うんですけど、そうじゃない経験をした人は、ストレートでなった人と比べて違う視点を持っているだろうと思っているんです。そういった中で、社会人を一度経験したからこそ、自分自身のオリジナルな視点を活かせるかもしれないということに少し魅力を感じたというのもありますね。

オリジナルの視点が持てるというのは1つのメリットだと思いますが、そのほかにもストレートで進学しないことのメリットはありますか?

メリットは実は結構あります。例えば私は経理をやっていたので、毎日書類などを整理していたことで、書類をどうやってまとめたら効率的なのかや、どうやってファイルを作るのかなど、スタンダードすぎて誰からも教えてもらえないような当たり前のことを社会ではすごく学べました。研究者の皆さんは、自分の専門の勉強は毎日されてると思うんですけど、そういうことはあまり学ぶ機会がないんですよ。

あと、社会人としての責任を一回身につけると、大学というアカデミックな世界の中でもすごく主体的に動けるようになるんですよね。例えば、大学では基本的に先生と生徒という関係性なんですけど、先生が困っていた時にそれ私できますよみたいな感じで主体的に関われると、それがきっかけで仲良くなったりとか、バイトとして雇ったりとかしてもらえました。そのように、簡単な事務作業の中でも、先生が持っている本や今注目している内容に直接触れることができるので、今先生が注目している最先端はこういうことなのかということを盗み見ることができました。

そして何より、一度社会に出たことで度胸がつきました。お金を支払っていないクライアントに「支払ってください」と電話をかけるのは結構勇気がいるんですよ。みなさんもそうだと思うんですけど、これやって良いのかなとか、これ大丈夫かなとか、悩んで前に進めないことってたくさんあると思うんですけど、社会に出るとまずやってみようっていうのが結構大きいんです。もちろん猪突猛進に何も考えずにやるのではなく少し考えるんですが、絵を描いてからすぐ行動に移すようになったのは、かなり大きい収穫だったかなと思います。

さらに言えば、働くとお金が手に入ることもメリットですね。働けばお金が手に入るのは当たり前なんですけど、貯金があるとそれを研究費に当てることができるんです。例えば大学院修士、博士とかの研究だと助成金をもらってやるので、申請書や報告書を書かなきゃいけないんですよ。これは先生方も一緒ですごい大変なんですけど、「自分が何者でもないけど調査したい」という一番最初のスタートの時に、その研究費をどうやって捻出しようか考えると、自分のお金があるというのはすごい心強かったです。自分のお金だから自分が大事だと思うことに好きに使って良いし、報告の義務もないのですごく楽でした。

逆に一度社会人になってからもう一度大学院に入ることのデメリットはありますか?

はっきりデメリットと言えるのは、年齢ですね。例えば私は今年で34歳になるんですけど、博士課程にそのまま進学している人に比べると結構差が出てしまうんです。この先研究職として雇われる条件で同じラインの人がもしいたら、若い方を選びたいというのが人間の心持ちだと思うので、そういうところはちょっと心配です。あとは高校の同級生や学部時代の友達の結婚式なんかに行くと、やっぱりみんな結構オシャレをしてご祝儀も3万円ぐらい包んでるんですけど、こっちは学生なので、そんなにお金もなくて若干みすぼらしいんですよね。自分で選んだ道だから仕方ないとは思いつつ、そういうちょっとした負い目みたいなものはやっぱり感じちゃいますね。

今後研究者になるのか、もう一度社会に出るのか、この先のプランを教えてください。

研究職があれば研究者として頑張りたいと思っています。ただ、実際のところ優秀だからといってポストがあるわけではないんですよね。理系の方はその感覚はあまりないかもしれないんですけど、特に文系は本当にポストが減っている状況なんですよ。だから、目標はもちろん研究職なんですが、それがダメだったとしたらその時また考えれば良いかなみたいな感じで軽く考えています。

ダメだったらその時に考えれば良いというのも、社会人での経験に基づいているんですか?

それもあります。あと、私は博士課程の調査でカンボジアという東南アジアの国を調査してたんですけど、そこで調査していると、「1日何時間働いたの?」みたいな人が結構普通にいるんですよ。それを見ていると、日本で仕事しなきゃいけないわけでもないですし、今の時代、いろいろな生き延び方っていうのは多分あると思うので、そのときの状況に自分自身を適応させながらやっていくのが一番かなと思います。みなさんあまりそういうイメージないと思うんですけど、博士課程の知り合いでも音信不通になった人とか結構いて、博士論文が書けないとか就職先が見つからないとか、調査から帰ってこなかったとか、そういうことで精神的に疲れてしまう人もいると思うんです。だから、目標を持つことはもちろん大事なので、目標は持ちつつも、ダメだった時はダメだった時でなんとかなるんだから大丈夫という気持ちでやってます。

◇カンボジアの呪術研究

カンボジアで調査をしていたとのことですが、研究内容について簡単に教えてください。

私は、カンボジアの呪術について研究をおこなっています。具体的にいうと、カンボジアには呪術やおまじないをする人がまだまだいて、それを頼りにやってくるクライアントの方が結構いるんですよ。そういう人たちが、なぜ今こういう時代に、呪術的な実践を続けているのかや、呪術を行う場所、環境、実践の中でのやり取りにも着目しながら、現代のカンボジアという社会で呪術がどのように維持されているのかということに注目して研究しています。

呪術の実践という観点で言うと、「呪術師とクライアントだけがいる秘密の場所」みたいなものがいろいろな国で報告されている事例なんですけど、私が調査した時には見物人がその周りを囲んで野次を飛ばしていたんですよ。呪術師は呪術師で意外と周りの人にも受けるようにちょっと笑いを取りに行ったり、野次馬がそれわかるとか、お前わかってないなとか、結構好き勝手言っていました。呪術の実践は神秘的なんじゃないかと思いつつも意外とわいわいしていて、いろいろなやり取りがそこにはあるのだということに気づきました。

研究をしていて、面白いと感じる部分はどこですか?

研究を進めていく中で、日本にも呪術的な風習は残っていて、呪術を呪術と思わないまま使っているという気づきは面白かったですね。これは私が専門にしている文化人類学という学問の特徴なんですけど、一段階目として異文化を調査する段階があって、私でいえば、カンボジアの呪術という私にとって違う文化を調査することです。次に、その調査を踏まえて日本ではどうなんだろう、自分の周りではどうなんだろうと改めて考え直すというのが二段階目なんですね。その過程で、私は元々なんで呪術が今の世の中に残っているんだろうという疑問を持っていたんですけど、よく考えると日本にも残っているなということに気づいたわけです。

例えば、子供の頃とかに転んで泣いたら親が走ってきて、「痛いの痛いの飛んでけ〜」とかやるじゃないですか。当然それで怪我が治るわけでもなければ、麻酔でもないんですけど、なぜかそれをされると治った気がしたり、痛みが薄まった気がしたりするんですよね。一回それをされると、次に一人でいる時に自分が怪我をすると、口に出したり心の中で唱えたりしますよね。そういうのってすごく呪術的だと思うんです。他にも、受験の時に、カツ丼食べたりとか、キットカットあげたりとか、受験用の鉛筆があったりとか、別に関係ないよなって心のどっかではわかっているけど、そんなにコストもかからないからとりあえずもらっとくかみたいなことが多いと思うんです。それはコストの問題で、コストがあまりかからないけど、もしかしたら何かあるのかもしれないとか、気持ち的に楽になるからやろうとか、そういうのがまさに呪術の仕組みなんですよね。意外と、呪術を信じるか信じないかではなくて、頼りとするかどうかという視点で考えると、我々の世界、生活の中にもかなり呪術的なものが紛れ込んでいるんだなということが改めてわかって面白かったですね。

研究をする中で、難しかったこと、大変だったことを教えてください。

大変だったのはやはりコミュニケーションですね。カンボジアは現地語がクメール語という言語なんですけど、その文字の形が独特で、一度見れば英語がいかに簡単かわかると思います。それから、呪術師がクメール語だけじゃなくて仏教系のパーリ語という他の言語を使うと、わからないので呪術師に直接聞くしかないんです。そういう言葉の壁があると大変ですね。

それから、調査者、研究者というのは、現地の人からすると自分の時間を削りにきてる存在なんですよ。私が現地の人にインタビューをする時には、その人の時間を奪っているという認識を持って、信頼関係を築くためにお土産を持っていったりします。そういう信頼関係を築くところは、面白いところでもあり大変なところでもあります。例えばこれ食べなよと言われて、明らかにこれ食べたらお腹壊すだろうみたいなものが出てきてもとりあえず食べて美味しいねって言わないといけないとか、そこで正直になると不信感を持たれることもあるので難しいですね。

◇「書を持って町へ出よう」学部1年生へのメッセージ

学部生のときにやっておいて今に繋がっているなということがあれば教えてください。

2つあって、1つは友達を作ることですね。学部生のときに作った友達は一生の友達になるので、進学するにしても社会に出るにしても、特に同じような進路を進む友達がいるのといないのとでは大きく違うと思います。もちろん勉強も大事なんですけど、それと同じくらい友達を作って良い先輩に巡り合って、後輩ができてっていう人間関係を構築していくことを意識してやっていましたね。私は授業やサークル、バイト先などで人間関係を広げていました。今はコロナだから難しいかもしれないんですけど、友達になる一番早い方法は一緒にご飯を食べることだと思います。同じ釜の飯を食べるじゃないですけど、まずはそこから始めるのが良いのかなと思います。

あとは、意識的に相手の興味があるものについて知る努力はしていました。例えば友達の趣味を聞いたら、それについて調べて、こんな記事を見つけたとか、自分でもやってみたけどダメでしたとか、相手からするとちょっと興味持ってくれただけで嬉しいじゃないですか。そういうことで、できるだけ交友関係を広げるような努力はしていました。

もう1つは、学部の時に文化人類学専修の先生に言われて今も大切にしている「書を持って町へ出よう」という言葉です。昔、『書を捨てよ町へ出よう』という舞台のミュージカルがあって、先生はそれをもじって言っていました。どういうことかというと、文化人類学でもそうなんですけど、本を読んでずっと過ごすだけでは意味がなくて、そういう知識を持った上で社会に飛び出して他の人と交流してみるっていうのがすごい大事だということなんですね。逆に勉強しないでそういうことをやると、自分の中でバックグラウンドを考える背景がないので、これってどうなんだろうとかこれって変だなとか、そういった気づきがないんです。

だから、まず知識を持って自分の中でそれをしっかりと噛み砕いた上で、町へ出る。いろいろなところへ行ってみるとか何かをやってみるということが大事ということですね。今私も本を読むだけじゃなくて、例えば仙台市のアーケードをうろうろしてみて、こういうのが変だなとかそういう気づきをできるだけしようと思って意識的にやっていますね。

1年生の中にはやることが見つからなくて将来に対して不安を持っている人もいると思うので、進路を選ぶ上でのアドバイスがあればお聞きしたいです。

まず私がこれまでいろいろな学部生と話をしてきて感じたのは、進路が決まっていなくて悩むのは悪いことじゃないということです。悩むのはある種当然で、むしろ悩みたければ悩みたいだけ悩むと良いというのが私の考えなんです。ただ気をつけないといけないこともあって、本来こうあるべきなのに、私はそれができていないというような悩みに陥っちゃうのはあまり良くないのかなと思います。

例えば理系でいえば何か実験をしなきゃいけないとき、文系でいえば何か論文書かなきゃいけないというときには、目的を決めなきゃいけないんです。でも、今どちらかというと真面目な人が多いので、自分が全然できてないなといって悩みすぎちゃうんですよね。社会に出ればわかりますけど、たとえ1年浪人してても1年留年してても、あんまり関係ないんですよ。意外と社会はいろいろなものを許容してくれます。

だから、「こうしなきゃいけない」という固定観念に縛られすぎないことが大切だと思います。まずはやりたいことも見つからないけど、あまり深く悩みすぎず、のんびり勉強して、いろいろな人に会ってみる。さっきも言いましたけど、「書を持って町へ出よう」ですから。まだ進路が決まっていないということは、本を読むことと色々な人に出会うことのどっちかが足りてないだけだと思います。

誰かと出会うということは偶然で、縁や運といった要素もあるので、まだ出会っていなくても大丈夫です。でもそれで何もしないのはダメですよ。何もしないのは解決になっていないので。まずは苦しまずちょっと一冊本読んでみようかなとか、新聞読んでみようかなとか、何でも良いんですけど、知識を入れて、新しい人と出会って、やってみようと思うと、何かしらに興味が出てくると思うんですよ。だから、そういうときになるまでじっくり待つしかないんじゃないかなと思います。