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先輩の声

自分で決断して行動しよう ~ニュートリノ研究から、ソフトウェアエンジニアになるまで~

大野 敦 Atsushi Ono

(理学研究科物理学専攻修士課程修了)

 

 

神奈川県出身。趣味は旅行。

中高時代は、テスト前以外、勉強2割・部活8割で、部活を頑張っていた。

東北大学在学中は理学部物理学科、理学研究科物理学専攻に所属し、ニュートリノや暗黒物質の検出装置について研究。卒業後、大手自動車会社に入社した後、現職のモノグサ株式会社に転職。現在ソフトウェアエンジニアとしてソフトウェア開発を行う。

  

自分で決めたことに後悔はない

 

大学生の頃の生活についてお伺いしたいと思います。

物理を専攻しようと思った理由は何だったのでしょうか。

物理系を目指す多くの方と同じで、私も、宇宙や素粒子などに興味がありました。そういう研究をしてみたいなという思いがあって選びました。

 

東北大学の理学部を選んだのはなぜでしょうか。

物理系の実績を見ると国内トップクラスですし、研究室とかも調べていくと結構実績を残している研究室がいくつもありました。環境に非常に恵まれているというので選びました。

 

入学後、大学生活をスタートさせる中で目標にしていたことなどはありますか。

1年生のときは、勉強を頑張ろうという感じではありませんでした。大学受験を頑張ったので、大学での生活を楽しみたい、勉強はもういいかなという気持ちもありました。最低限単位を落とさないようには勉強していましたが、大学生活を楽しんでいたと思います。

 

1年生の時、授業以外では、どのような活動をされていたのでしょうか。

最初は一人暮らしの生活に慣れるというところからスタートでした。サークルに入っていろいろと活動したり、趣味の旅行に行ってみたりと高校生までの生活だとできなかったようなことをやっていました。

 

大学生ならではの生活を楽しんでいらっしゃったんですね。一方で不安や大変だったことはありましたか。

特に不安はそこまでなかったのですが、強いて言えば勉強についていけなくなったらどうしようという思いはありましたね。まあどうにかなるだろうという気持ちもあったので、そこまで大きな不安というのはなかったですね。

 

その後、上級生になるにつれて意識していたことはありますか。

大学2年生くらいの時は、「誘われたら何でもやる」をポリシーとして日々過ごしていました。誘われたときに直感で「やりたくないな」と感じても、やってみたら実はすごく楽しかったりすることもあるのかなと思って。いろいろ挑戦してみようということで誘われたら基本断りませんでした。それが、非常にいい経験だったなと思います。

さらに、全部に参加する中で自分のキャパシティーみたいなものがわかりました。これ以上やったら自分の能力的に無理だという限界が何となくわかるようになったというのは一つ得たことかなと思います。

 

具体的にはどんなことをされたのですか。

サークルで自分が主体的に企画をして、人を募ってイベントをやったり、自主ゼミ的なことをやってる人に少し混じったりしていました。始めたけどあまり参加しないまま抜けたりということもあったのですが、面倒臭いからやらなかったというのではなく、一回やってみて自分の生活の中で合うかどうか考えていましたね。

 

ちなみにイベントの企画ってどんなことをやったのですか。

サッカーのサークルで活動していて、他のサークルや大学の人と交渉して試合の日程を組んだり、サークル内で芋煮会などのイベントを企画することもやっていましたね。

 

年次があるに連れて勉強や研究活動にはどのように取り組まれていたのですか。

研究室配属は4年にあるタイミングだったので、3年生までは授業や実験をメインにこなしていました。4年生で研究室に入ってからは、研究テーマが与えられて、ある程度の成果が求められるので、4年生の終わりまで長期的に計画的に進める形で取り組んでいました。

 

どんな研究テーマに取り組んでいたのですか。

ニュートリノ科学研究センターというところにニュートリノを検出するKamLANDという大きな施設があって、中は油で満たされていて、それが検出機になっているんです。4年生の時の研究では、その中の様子を取れるカメラがあるのかを調べて、中にそのカメラを入れてモニターできるか事前調査するということをしていました。より厳密にいうと、KamLANDの施設が問題なく動いているのか常にモニターできるようなカメラがあればよいのですが、検出機の中は光への感度が高くちょっとした光で機械が壊れてしまうので、機械が壊れないけど撮影できるものがないか調査するということをやっていました。

 

研究に対するモチベーションはどのようなものだったのでしょうか。

大学4年生になるとあまりサークルに行かなくなったので、研究がメインになっていました。楽しくはやっていたのですが、分からないことが多くてそれはそれで辛かったなと思っています。

 

そうした大変さをどのように乗り越えていたのですか。

分からないことをちゃんと分からないと表現して、知識のある人を探して教えてもらっていました。あとは実際に手を動かしてみて、大きなミスにならない程度に小さいミスをしながら、トライアンドエラーで何度もやってみました。やっていくうちに、こうやるといいとか、こうやるとデータが取れないとか自分の中で感覚が分かってきて進められるようになりました。

 

大学院進学後は、どのような研究を行っていたのですか。

大学院では暗黒物質探索に向けた検出器の研究開発を行っていました。学部4年の時の研究結果として、カメラを検出機の中で運用するのは厳しいということが分かりました。これ以上研究しても先が見えなかったので一旦そのテーマには区切りをつけて、修士1年生になるタイミングで指導教官から「新しい研究テーマがあるからやってみないか」と言われたんです。「じゃあやります」といような、軽い感じでした。

 

新しい研究テーマに取り組む中で学んだことなどはありましたか。

卒業論文のテーマとは全く別の研究テーマだったので、分からないなりに一からやれたところがあって、すごくいい経験だったなと思っています。情報が全然ない中だったので、海外の先行研究を調査したりするところからスタートして、難しいところもありつつ、今思えば楽しかったですね。

 

研究活動を行う一方で、民間企業に就職しようと思うようになったのはどのような経緯があったのですか。

大学に入るときに自分の中でやりたいなと思っていたことに対する興味が薄れたというのが、一つ大きな理由だと思います。もともと素粒子や宇宙というテーマがすごくいいなと思っていたのですが、大学の中でいろんなものを見聞きしたり人と話したりする中で、それだけが自分の興味の対象じゃないんだっていうのに気づかされました。

大学の学部までの研究も終わって大学院で研究テーマが変わったタイミングくらいの時期に、インターンの機会もありました。自分が何をしたいのかと考えたときに、学術研究の世界でずっとやっていくというのはモチベーションが続かないなと思いましたし。マネジメントによって組織を動かすって面白そうだなという気持ちもあったので、だったら就職もありかなと。

 

マネジメントをやってみたいという思いが芽生えたきっかけなどはあったのでしょうか。

これといって明確な理由があったわけではないですが、何か大きな仕事をするのに一人で行うには限界があると思ったときに、マネジメントによって組織を動かせるようになったらそこに辿り着けるんじゃないかと思っていましたね。

 

大学生活を振り返って学部1年生のときにやっておけばよかったなと思うこと、逆にやっていてよかったなと思うことはありますか。

1年生のときに限らないのですが、自分で意思決定して自分で決めたことをやるというのは大事だと思います。大変なときもありますが、何かあったとき自分で決めたことだから仕方ないとあきらめがつきますし、自分で決めたからやりきろうという気持ちにもなります。人に言われたからやるというぐらいなら、自分がやりたいからやるみたいな。サークルやるならやるでもいいと思いますし、勉強するなら勉強するでもいいと思います。大学と全然関係ないところで頑張るというのも手かなと思います。

 

自分で意思決定した経験が現在の生活にどう繋がっていますか。

現職に転職したことも、自分の中でこのままじゃ目指すところに行けないなという思いがあって、自分で決めてやろうとした結果だと思います。自分で決めたことをやって、自分の中でどうあきらめをつけるのか、やり切るのかというのを経験するのは悔いがないというか。自分で選んだ道だからこそ楽しいですし、振り返ると損したなとか公開したなというのはなかったと思います。

  

大手自動車会社からプログラマーの道へ

 

 

現在のお仕事について教えてください。

いまは、モノグサ株式会社というところで働いています。私自身はソフトウェアエンジニアとしてプロダクトのソフトウェア開発をしています。弊社で取り扱っているプロダクトとしてはアプリのモノグサというものがあります。記憶をテーマにしている会社で、記憶を日常にするというコンセプトのもと、記憶をロジカルに進めるようにアプリ上で実現していくということを行っています。

 

ソフトウェアエンジニアとは具体的にどのようなことをするのでしょうか。

みなさんが一番思い浮かべるのは、おそらく、パソコンの黒い画面にたくさんコードが書いてあってそれとにらめっこしている場面だと思います。そのようなことをしていると大雑把ですが、コードを読んで必要なところを書いたり、新しい機能を設計から考えて実装していくということをやっています。プロダクトの内容としては、解いて覚える記憶アプリとなっています。例えば、英単語を覚えるといった時にきちんと覚えたかというのを記憶度と忘却度というものを測定しながら生徒一人一人でマネジメントしていくというツールを開発しています。

 

現在お仕事をされる中で、将来的なキャリアの目標はありますか。

まずはプログラマー、ソフトウェアエンジニアとしてきちんと能力を高めていきたいなというのが直近の目標です。ゆくゆくはマネジメントとかもやりたいなと思います。今のプログラマーとかソフトウェアエンジニアという職種が本当に自分に合うなと思うのならば、そのままその位置のエキスパートとして極めていくのもありかなとは思っています。

 

学生時代から既にプログラムをツールとして用いていらっしゃったのですね。

プログラミングの経験自体で言うと大学の時に経験はしていたのですが、大学卒業後に現職とは別の会社に就職し、そこでいろいろと経験した中でプログラマーとしてをやっていきたいと思い現職に転職したんです。前職の時にいろいろと考えた中で、もう一回プログラミングをきちんとやろうと学び直したのが現職に繋がったという形ですね。

 

卒業後、最初に就職した仕事についてもお伺いしてよろしいでしょうか。

最初の会社は日産自動車で、理系職としてプログラマーではなくプロジェクトのマネジメントをするような業務を志望して入社し、志望通りに配属されました。所属していたところは品質保証部門の内の一つのグループでした。新車のプロジェクトや過去のプロジェクトにおける不具合やお客様からの不満などの情報を、技術的な視点や言葉に置き換えることで技術者や工場の方にわかるような形で集約、フィードバックし、新車に不具合や不満などが発生しないようマネジメントしていくと言うのが主な業務でした。

 

そこからプログラミングをやりたい、転職したいと思うようになったのでしょうか。

最初は本当にマネジメントの業務がしたいと思って入社しました。自分はマネジメントの上の立場に立つ人をサポートするポジションだったので、情報を収集しこのようなリスクがありますといったことを伝えたりしていました。その中で感じたこととして、マネジメントする人は会社にとって大きな決断を何個もやらなければならず結構難しいなと感じたんです。そうした中で、一つの分野に深い知識があれば、「昔こういう経験をしたのでこのようなところにはリスクがある」だったり、「こういうことがあったけど、これは大丈夫そうだ」といったことが分かるのかなと思ったんです。もともとマネジメント関連の業務を続けたかったのは幅広くいろんなところを見たいという思いからで、それは実現できるのですが、意思決定のところで自分が自信を持って腹を括ってできるかと言われるとできないなと思って。そのため、エンジニアとして何か一つ深い分野を持とうと思った時に始めたのがプログラミングだったので、そこからソフトウェアエンジニアに繋がっていきました。

 

ということは、今最終的にはマネジメントをしてみたいという思いがあるのでしょうか。

そうですね。最終的には何か大きな仕事に関われたらいいなと思います。日産自動車で働いていたときも重要な意思決定をする人をみて、そういうことができたらすごくやりがいを感じることができると思っています。でも今はソフトウェアエンジニアとしてまだまだ始めたばかりなので、勉強することが最優先かなと思っています。

 

 

最後に入学する1年生に向けてメッセージをお願いします。

やはり自分で決めたことをきちんと自分でやっていくというのは非常に重要なことだと思います。ただ自分で決めたことをきちんと最後までやりきるだとか、できないならちゃんと諦めをつけて別のことをやろうとか自分で決めて動いていくのは自分自身よかったなと思っているのでやってみるといいと思います。